2010年12月16日

今年も終わりさぁ。その3

あと何回書くことになるのだろうか。
しかし親父の件は今一番吐き出したいことなので、書く。
足元に絡みつくようだ。

■親父のこと。その2 チャーリー・コーセイ
親父が搬送された当日は二人病院にいても仕方が無いので自分は帰宅。しかし緊急でなにかあってはいけないとのことで、連絡先などは伝える。
結局3日ほどICUにいた。しかしその後も状態が安定したわけではないので常に看護の目がある救急病棟にしばらく居ることになる。
自分たちも病院に通うことになるのだが、母親は車で通いなれれない道は行きたくないというので、合間を見て車で病院へ向かう道筋を横に乗って教え、その後はしばらく必要な物を取りに行くぐらいでしばらく病院に詰める状態に。自分も母親に負担をかけないようするつもりでこまめに顔を出す。
このときの親父は不安定でしばらく会話も難しく、普通病棟へ移るのに2週間ぐらいかかった。

普通病棟に移るまで、そして移ってからも大変であった。暴言を吐いたり、暴れたりして点滴ができないとのことで病院から呼び出されたり、ベッドから出ようとして若干拘束されたりしている。
このあたりで神経科の先生も出てきていろいろ安定剤を出されたりしていたが、肝臓の状態も悪いので薬の効きが安定せず幻覚を見て看護師さん叩いたりする始末。
看護師さんからこのような状態の時の話を聴くたびに、頭を下げるが「仕事ですから(^^)」と応える看護師さんを白衣の天使とはよく言ったものである。
しばらく寝たきりであった。立てる状態でもない。以前ほど暴れたりとかはしなくなったが、家に帰るだの、ベッドから出ようとするだの自分たちや看護師さんに言い続けている時期で、ベッドの下に徘徊感知器を敷かれ、ベッドから降りようとするとナースコールがなるという。そしてサイドレールも外せないようにひもで縛られる。

そしてしばらくするとヨタヨタしながらも立てるようになったらしい。そして1,2度歩行器を使い少し歩いたそうであるが、その後すぐ立てなくなる。
腰の痛みを訴え、寝ていても痛い状態となり、さらには足に痛みが痛み出す。あまりに痛がるのでレントゲンなどいろいろ検査をしてもらうと、今度は化膿性脊椎炎が発症していた。よくは分からないが酒の飲み過ぎ→肝臓が悪くなることでいろいろと悪循環を起こし、脊椎にウミが溜まったようである。

これを気に糖尿内科から整形外科に担当医が変更となる。
そこでこれをどう手術するかと話している間、検査を行うと心臓が弱っている、肺に水が溜まっているとで手術もしばらく見送られた。消化器系以外はほとんど悪いんじゃないかという状態。
しばらく投薬で心肺とも落ち着くのを待ってようやく手術を行った。

この手術の直前、親父の兄弟、私から見れば伯父さんと叔父さんが北海道から見舞いにやってきた。心肺が弱っているので会話も難しく酸素マスクをつけた状態。意識も弱い。少しづつ良くはなってるものの、たまたま来た時がその状態。伯父もほろっと涙する。その状態が帰った伯父たちから兄弟親戚にその状態が伝わったらしい。結構北海道の親戚一同大事だったらしい。

脊椎を削って、中の膿を取り出す手術が実施された。場所が場所だけに慎重に手術したと担当の先生。手術が終わったあとも2週間の安静。親父は動けず。その間に不穏になり点滴を抜くなどの暴挙に出る。先生方や看護師さんにまた迷惑をかける。こちらも申し訳ない気持ちで一杯。



...自分自身が薬が効いてきて眠くなってきた。また明日以降続きかきます。
とりあえず退院後の話があって、そして今週私が仕事する間もなく落ち込むってところまでは書き切ります(笑)

今年も終わりだぁ。その2

今年のことを書いてもかなりの量になるなぁ。自分がどこで納得するだな。
そして今年家族を大いに困らせた親父のこと。そしてまたあらたなる事象も発生する。ほんとうに大変である...。

■親父のこと。
3年ほど前だったか、親父が長年続けてきた仕事をやめて、「さあどう老後を過ごそうか」と本人も考えていたのだろうと思う。
しかしこれまでずっと仕事を続けてきて、これと言って本気で打ち込めるような、趣味らしい趣味が無い人だった。
仕事をやめて出来ることを少しづつ探していたのだと思う。ちょっと畑をいじっては中途半端で投げ出し、昔は結構いっていた釣りも道具を改めて揃え、数度行ったきりで行くのを辞めてしまった。
そしてすることも見つからなかったのか、家の中でこれまで使っていた仕事道具を片付けたり、倉庫を弄ったりしていたが、それもそれも終わったのだろうか、部屋で横になって、テレビを見て、その合間に酒を呑むだけという生活になった。

そして生活をしているうち、徐々に酒量は増えていった。横になっている時間は増え、体は見るからに痩せていく。酒量が増え食事が減ったこともあるだろうが、明らかに廃用症候群ってやつである。動かないから筋力がどんどん落ちていった結果である。

酒量はどんどん増えていく。2日に1本、紙パックの焼酎が空いていき、喉が乾いたら焼酎の合間にビールを飲む。一応気遣っているのか、自分や母親がいないときに眼を盗むように飲んでいく。空になるスピードが異常なので気づかないわけがない。また自分が買ってきた焼酎には手をつけないというスタンスだったのに、こんな状態では飲むかもしれないと隠していた焼酎も見付け出してそれぞれ底にちょっとだけ残して飲むような真似までしている。
そして酒が無くなれば買って来いと怒鳴る、買いに行く人間が居ないなら買いに行く。どれだけ喧嘩しようが酒だけは辞めなかった。

そしてもちろん体調は崩れていく。そんな状態だからと自分の意志で医者には行くが、もともと医者は信用していない、言う事を聞かない、喧嘩はする、貰った薬はすぐに効かないからと数度飲んでやめる。
もともと酒を飲んで薬なんか飲むほうが危ない。実際にまともな状態で無くなることもあった。
何以前に医者と話すのに調子が悪いのを酒が原因とは医者には言いたくない、認めたくないようで、もうどうしようも無い。

そして日常生活に影響が出てくる。徐々にまともに歩けなくなる。
すると「杖を買ってこい」といい、そしてそのうち立ち上がるのが難しくなると「ベッドを買ってこい」と。こちらもトイレぐらい自分で行ってもらわないといけないので、やむなく買ってきたがやりきれない。
いくら酒のせいだと言っても怒鳴るだけで聞く耳は持たない。母親も怒鳴られるまま酒を買ってくるしかなかった。
これまでどうにかアルコールを断つための病院に入れることを考えたり、どうにか飲まさないための方法を色々と考えたり、親父をなだめたり喧嘩したりしてきたが、このころは自分も母親もほとんど諦めて、当時は「もうこのまま死んでも仕方が無いわ」と話していた。このあたりで母親は仕事を辞めてしまった。

そしてさらに酒が祟り、普段からほぼ横になりっぱなしに近い生活となった。声もまともに出ない。肌は真っ黒。筋肉は削げ落ちて硬直し、ベッドから引っ張らないと起こせないほどの状態となる。座った状態を保つことも難しくなってきて、トイレにも困る状態となった。
ここまでなるとさすがに酒量が減った。とても飲める状態で無いのであろう。ただでさえ少なかった食事をほとんど取ることもない。食事時はかろうじて食卓前で壁にもたれるように座り、ちびちび焼酎を飲んでいる状態である。

さすがに私たちもいいかげん不安になる。
ゴールデンウィーク明けの朝、無理やり以前行っていたクリニックへ連れて行く。喧嘩をして以来、1年ぶりぐらいに行く医者だったとおもう。
親父も行くのを嫌がるも、流石に自分自信の体調が不安なのかあまり抵抗しない。いつもなら医者に噛みついているようだが、その時はそんな元気もなかった。
血糖値を測りその異常な数字にその先生は怒った。簡単にまとめると「肝臓が破裂して何時死んでもおかしくない、以前言った事を聞かないからだ」という。紹介状を書くから連れて行く人間(私)がいるうちに大きな病院に行きなさいと怒られる。
その先生の所に行った足でさらに車で15分ほど先の大き病院へ連れて行く。そこで糖尿内科の先生に見てもらい、一日掛かりで点滴をして薬をもらい帰った。

そしてすぐ次の週明けのこと。
自分が仕事から帰ってきて食事前に親父に声をかけたが返事をしない。体が異常に熱く、意識が混濁している。
酩酊気味なことはあってもこんな状態になるのは初めてのことであった。慌てて119番に電話をする。
10分もしないで救急車は到着した。状態を見てもらって救急車に乗せ、あと搬送となるのだが、救急隊員に普段行っている病院に付いて聞かれた。仕事柄なかなか病院が見つからずなかなか搬送されないケースは自分の体験にもあるし、話にも聞くのでもしかしてと考えていた。
先日、一度大病院に言ったことを話すと救急隊員はすぐそこへ問い合わせ。救急もしているところだし、先日見てもらったことから「来て下さい」ということになった。良かったと安堵する。
母親が救急車に同乗し、とりあえず自分があとから車で病院に向かうことにした。

あとから自分が到着すると、親父が入っている先に向かうとICUであった。親父はドラマで見るような心拍計や点滴をつながれ、いびきをかいている状態。自分と母親はその横でパイプ椅子に座って様子を見ていた。
そんな中、救急の医師がインターンらしい若い医師を連れてきて、その子に「これが糖尿病性昏睡で...」と説明を始める。
自分の中で危機感が高くなり、思わず涙が出そうになった。

長いね、まだつづく。

今年も終わりかぁ。その1

あああ。発声練習。
もうブログの書き方忘れたw

...あれから1年かぁ。
書くときはストレスの発散と心情の吐露のためだけと言うのが嫌なんだが。
この1週間で大きく落ち込むこともあってもう布団から出たくない感じ(笑)
それだけ書くのも何なので、とりあえず1年の振り返りでもしようかね。

今年はほんとうに大変だった。

溜め込んだことを吐き出す。ありすぎるのでちょっとずつ。いい事も悪いことも悪いことも悪いことも。
もともとそんなつもりのブログのじゃなかった筈なのになー。
まあ元気になるために吐き出してるので頑張って書く。

■ついったー
日本ではツイッターがついったーだった頃、おそるおそる始めてみた(笑)が当初は使い方は判っても使い勝手もよくわからなかった。が、今はごく普通に使って楽しめている、と思う。
ブログは書くのに覚悟(笑)がいるがツイッターならブラウザなりから手軽に書けるので、思いついたことをその瞬間(暇さえあれば)さくっと書ける。
色んな使い方をしている人もいるが自分としてはあくまでもブログの延長のつもり。そして情報収集のツール。また自分が接してさえいればリアルタイム性が高いから時折チャット状態に。
開くことでストレスの解消になるのだからと精神衛生の都合上、できるだけ書くように心がけようとしている。
しかしフォローする人によってその人のツイートの内容に喜んだり落ち込んだりもするので、見るのもそれなりにしんどい時もあるがw
そしてこないだからmixiボイスとやらと連携できるのもわかったので、試してみて様子を見ているが、マイミクさんでmixiボイス使ってる人少ないw
そしてmixiボイスは直下にコメントが付けられるけどツイッターメインだとmixi側でコメントが付いてもわからんという。両立できるアプリとか無いかと見てるけど無いみたいだ。
その辺はしばらく様子を見たら誰かがどうにかしてくれるだろう。

■で、ブログは。
こんな鬱陶しいことを書いているブログを置いておきたくないので、暇を見てリニューアルをしようと考えている。リアルタイム性があることはツイッター、長文になりそうならブログとほんとうはしていきたい。
そしてちょっと時間があるときにその下準備をしようとしていたが、なぜかうまく行かず今まで放置。
設置の段階で躓いている。MovableType5になって使い勝手がよくわからんのですorz
衝動買いしたドメインとかで副収入をとか考えてもいるがそれ以前の問題であるw
年が明けたら考えよう。

■大学のレポート。
いつもブログで進まない進まないと言い続けたレポート、ようやく全ての提出が終わった。
あとは単位認定試験と卒業だけ。まるまる8年かかった(笑)
まあ、サボタージュ癖もあるのだが、敢えて言い訳をする。
入学した当初は会社から家まで通勤距離は原付でわずか15分だった。
福祉の世界は資格が大事なので、取得のために通信制の大学に入学したのだが、アホ所長とのいざこざで3ヶ月後に大阪へ転勤、通勤は2時間ほどかかるように。
時間の余裕があるから始めた勉強だというのに。そしてそれからケアマネの試験勉強や仕事辞めたり始めたり追い出されたり。なにかと忙しくてレポートに力を入れられなかった(笑)
それでもなんとか仕事の合間に実習に行ったり、ぼちぼちとレポートを進めて今月初めにようやくすべて完成。そしてバーンアウト起こして脱力中。そういや一番レポートに集中したのは最初の3ヶ月と最後の1ヶ月と今気づいた(笑)
今回もレポートはそれなりに良い点は貰ってるので、単位認定試験で大きくしくじらなければ卒業できるだろう。
そして本当なら社会福祉士の試験を受けれるんだけど、今は身も心もズタズタwなので今年度は見送りにした。来年度がんがる。

つづく。

コメント

でも実際努力したことないDQNってさ、細かいことにいらいらして自分の頭で考えて乗り越えられないから人に八つ当たりするようなやつばっかじゃない http://www.justsk.com